エンタメに関するなんでもブログ
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 松田道弘はその著書『トランプの楽しみ』で、「遊戯としてのゲーム」の定義として「勝敗を争う事で楽しむ遊戯」という定義を採用している。この定義は単純明快であり、かつ言い得て妙である。 一方ゲームデザイナーグレッグ・コスティキャンは雑誌youtubeInteractive Fantasyの記事 'I Have No Words & I Must Design' において、例えば『シムシティ』の作者ウィル・ライトが自分の作品を(「ゲーム」ではなく)「toy(おもちゃ)」であるとしている言葉などを引きつつ、ゲームとは「充分な情報の下に行われた意思決定 (decision making)をもって、プレイヤーが与えられた資源を管理 (managing resources)しつつ自ら参加し、立ちはだかる障害物を乗り越えて目標 (goals)達成を目指す」ものであるとしている。 ロジェ・カイヨワは、playに人妻対応するパイディアPaidea(娯楽)の類型に対するものとして、ルール的制約をもちgameに対応するルドゥスLudus(闘技)を提案している。
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